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【歴史の小窓(3)】「和同開珎」時代から早くも偽金 国の銀銭発行のカラクリ見抜き|秋田魁新報電子版 - 秋田魁新報電子版

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富本銭。飛鳥池遺跡出土=1999年
富本銭。飛鳥池遺跡出土=1999年

 2024年に20年ぶりに全面刷新される新紙幣には、渋沢栄一などの肖像が回転するホログラム技術が、世界で初めて採用されるのだという。偽造防止のためで、昨年末発行された新500円硬貨にも、特殊な金属を使うなどの工夫がしてあった。自国の硬貨や紙幣などの発行、流通には国の威信がかかっているから、簡単に偽金がつくられないようにするのは当然だが、日本では貨幣の偽造が「和同開珎」の時代から盛んだったようだ。

 和同開珎には銀銭と銅銭の2種類がある。708(和銅元)年2月、元明天皇は藤原京で、都を平城にうつすという詔を出した。その3カ月後の5月にまず銀銭が、8月には銅銭が発行されたが、銀銭を先にしたのは、国の深謀遠慮があったからだ。それは、国が銀銭発行で“利ザヤ”を稼いで、平城京の建設資金に回すというアイデアだ。

 日本の貨幣の歴史を振り返ると、国が発行した最古の貨幣は和同開珎とされていた時代が長かったが、1998年からの奈良・飛鳥池遺跡の発掘で鋳造施設が発見されて以来、「富本銭」がその座を奪うことになった。ところが最近の研究で、近畿地方を中心に出土している板状の銀片「無文銀銭」が、富本銭より古い“貨幣”だったとする意見が強くなってきた。

 無文銀銭は、いびつな丸形をしていて直径は3センチほど。形がふぞろいなのは、和同銭のように溶かした金属を鋳型に流し込んでつくるのではなく、銀のかたまりをたたいて整形したからだ。中央に小さい穴が開いているのは、中国の貨幣を意識しているからだろうか。名前の通り無文が多いが、「×」などの記号や「大」「伴」などの字を刻んだものもある。特徴となるのが重さで、多くは約10グラム。重さが足りなかったものには銀の細片を貼り付けて調整していた。

 記録などをみると、国が発行する貨幣がない時代の取引には、稲や布などが貨幣代わりに使われていたが、それでは高額商品の取引や外国との交易には不便だ。そこで国際的にも価値の高い銀を貨幣的に使う考えが自然発生的に生まれ、無文銀銭が誕生したようだ。素材の銀は朝鮮半島にあった新羅の国から流入してきたとする説が有力だ。

 市中に無文銀銭という貨幣が流通しているのを見た国は683年、富本銭を発行、同時に無文銀銭の使用を禁止した。富本銭は、中国の唐の通貨「開元通宝」のように丸い形で四角い穴があり、大きさと重さも同じ。表に「富本」の2文字を浮き彫りにして高級感を出し、不細工な無文銀銭との違いをアピールして、無文銀銭並みの価値として流通させようとしたようだが、素材が銅なので無文銀銭を上回る人気とはならず、あまり流通しなかったようだ。

 富本銭での挫折を教訓にしたのが708年の銀銭、銅銭の発行計画だ。名称は「和同開珎」を採用して開元通宝と同じく漢字4文字とし、まず和同銀銭を発行した国は、無文銀銭と同じ価値で通用するとして、1対1で交換させた。当たり前のようにみえるが、実はここにカラクリがある。無文銀銭の重さは約10グラムなのに、和同銀銭の重さはばらつきがあるが平均5.5グラム。半分近い軽さだ。国は銀を入手して和同銀銭をつくり、それを市中の無文銀銭と交換するだけで、倍近い銀の素材を入手できるのだ。交換した無文銀銭でまた和同銀銭をつくれば、さらに大きな利益になるという仕組みで、この差額を平城京の建設資金にするとともに、次は和同銅銭を市中に流して和銅銀銭と交換させて、銅銭に統一するという筋書きだったようだ。

 そうした思惑は人々も気づいたようで、私鋳銭、つまり偽金が横行した。これには国も相当頭を痛めたのだろう、銀銭発行の8カ月後の709年正月には「市中で銭を偽造している者が公の銭を乱している」として、銀銭の私鋳を禁じ、犯した者は没官(官の奴婢=奴隷)にするという厳罰を定めた。しかし効果がなかったのか、その年の8月には和同銀銭の発行をやめるとし、翌年の710年3月に藤原京から平城京に遷都すると、半年後の9月には、銀銭の使用を禁止した。

 和同銀銭の公的な通用期間は2年半弱と短命に終わったが、これが銀銭の偽造の多さに根負けしたからなのか、無文銀銭の回収にめどが立ったからなのかは分からない。ちなみに、和同銀銭は禁止令にもかかわらず銀という素材の価値から、その後も流通していたようだ。偽金づくりは問題だが、重さの違う無文銀銭と和同銀銭を等価として交換させようとしたのは、国の偽金づくりと言えなくもないような気がする。(共同通信記者・黒沢恒雄)

 くろさわ・つねお 1953年生まれ。初めて奈良支局に赴任した79年、平城宮にほど近い発掘現場から和同開珎の土製鋳型がたくさん出土した。記録にはない工房なので、「偽金づくりかも」と思い取材したが、京のど真ん中で密造できるはずもないという意見が大勢だった。謎を残したまま出稿したが、最近になって、鋳型を量産するための「種銭」をつくっていた官営工房という研究を知った。

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October 12, 2022 at 04:00AM
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