パーク女子で夏季オリンピック(五輪)日本人最年少出場の12歳、開心那(ひらき・ここな)が銀メダル。

腰まである髪をなびかせ華麗に滑る中学1年生は、最後まで笑顔だった。開は銀メダルが確定すると、四十住と抱き合った。「五輪を楽しめた」と頬を緩ませた。日本最年少メダルにも「あんまり年齢とか気にしてないです」とひょうひょうとしていた。

決勝1回目の試技で2位に立ち、2回目でさらなる高得点を出した。板の金具部分を滑る得意の「グラインド」技や空中で板を蹴って縦1回転させる「キック・フリップ・インディ」に成功し、ノーミスで演技を終了。59・04点でトップの四十住を猛追した。「予選よりも滑りのレベルを上げられた」と会心の出来だった。

ストリート女子で金メダルを獲得した西矢と同じく、五輪の重圧とは無縁だ。16年リオデジャネイロ五輪は7歳だったが、ほとんど記憶はない。かねて「五輪は世界からいろいろな選手が出て戦う大会。出られるんだったら出たい」と反応。周囲の期待は感じているが、特別なものと感じていなかった。

競技に出合ったのは幼稚園児だった5歳の頃。スケートボードを見るのが好きだった母が「家族で一緒にできるスポーツをさせたかった」のがきっかけだ。

北海道苫小牧市の練習場に通い始めると「新しい技ができるようになったとき、誰かと一緒に滑ると楽しい」と夢中になった。すり傷や打撲を負いながらも打ち込んだ。熱中しすぎて、自転車の練習を怠った結果、今も乗れないといった逸話まである。

真夏の東京で成し遂げた銀メダルという功績にも、満足するつもりはない。目標とするのは「世界で一番かっこいいスケーターになる」。12歳で初めて挑んだ五輪の舞台も、目標を達成する通過点にすぎない。【平山連】

◆開心那(ひらき・ここな)2008年(平20)8月26日、北海道苫小牧市生まれ。5歳で競技を始めた。日本選手権は18年4位、19年優勝。21年5月の五輪予選最終戦デューツアーは5位。趣味は絵を描くこと。得意科目は図工で上海の大会に出場した経験から、授業では針金で上海タワーを作った。好物はカレーうどんとカレーラーメン。名前の由来は南国好きの母が「ココナツ」から付けた。146センチ、34キロ。家族は両親と弟。血液型はO。