宅配寿司「銀のさら」を全国展開する、ライドオンエクスプレスホールディングス(HD)が好調だ。
2020年3月期の決算(連結)は、売上高253億8400万円(前年比20.7%増)、経常利益24億3000万円(同84.9%増)となり、過去最高の売り上げと利益を更新した。
新型コロナウイルスの影響による外出の自粛や在宅勤務の普及、飲食店の営業縮小などにより、消費者からの需要が増加した効果が顕著であった。
もともと、寿司には出前の文化があり、「スシロー」「無添くら寿司」「はま寿司」「かっぱ寿司」といった4大チェーンに代表される回転寿司もデリバリーを強化している。一方、宅配寿司における銀のさらの知名度、ブランド力は群を抜く。その強みが存分に発揮された。
ウーバーは脅威でない
富士経済「外食産業マーケティング便覧2020」によれば、宅配寿司の市場で同社が占めるシェアは52.3%と半数を超え、圧倒的な地位を築いている。
日本ではコロナ禍になって、非接触性の高さからフードデリバリーに注目が集まった。自前の配送機能を持つ宅配寿司やピザとともに「ウーバーイーツ」や「出前館」といったフードデリバリー専門の業者が脚光を浴びている。米国や中国、韓国では、IT革命の進展により、スマートフォンで簡単に多種多様な料理を自宅に届けてもらえるようになった。その便利さから、コロナ禍以前からフードデリバリーがブレークしていた。
日本でも、高齢化、女性の社会進出、核家族化、スマホの普及などを背景に、アフターコロナでもフードデリバリーの市場は堅調に伸びていくと推測される。
ライドオンエクスプレスHDは、08年に宅配サービスを手掛ける「ファインダイン」を買収し、ウーバーイーツ型のギグエコノミーにもトライしてきた。その結果、ギグエコノミーは銀のさらにとって脅威ではなく、ビジネスのパートナーだと結論付けるに至った。
「出前館のようなポータルサイトや、ウーバーイーツやウォルトをはじめとするギグエコノミーが出てきて、銀のさらの販売窓口や配送の足回りがそれだけ増えたということ」と、同社の江見朗社長はアフターコロナの事業見通しに自信を見せている。
国民食である寿司の国内市場は1.7兆円近くあって、焼き肉の約5000億円より大きい。ところが、宅配寿司のシェアはそのうちのまだ3%程度だ。成長の余地は十分で、斯界のトッププレーヤーである同社への期待は大きい。
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最初はサンドイッチで起業
ライドオンエクスプレスHDの創業は1992年。現社長の江見朗氏と、現副社長の松島和之氏がタッグを組み岐阜市内で創業した。
江見社長は1960年生まれ。名古屋大学、東京大学、京都大学などに毎年多数の生徒が合格する進学校・県立岐阜高校の出身だ。しかし、組織の出世競争に巻き込まれるのを疑問に思い、国内の大学へは進学せず、アルバイトで資金をためて、単身米国に留学する道を選んだ。
日本人しかできない寿司職人ならば、米国人の失業者を増やさないので簡単にグリーンカードがもらえると友人から聞いていた。生活費を稼ぐために寿司店に勤め始めると、意外にも水が合った。近所に住んでいたロックバンドのボン・ジョヴィのメンバーと、お店で親しくなって、ラスベガスのディナーショーに招待されるなど、飲食業の楽しさに目覚めた。
ロサンゼルスで7年半を過ごし、長男という事情もあって帰国。地元の割烹料理店に就職した。この頃、常連として通っていたショットバーで、松島氏と運命的な出会いを果たし、共に「サブウェイ」をベンチマークしたサンドイッチ店「サブマリン」を起業。創業前の松島氏は岐阜の婦人服アパレル企業で、社長代行として経営参画していた。
しかし、裏通りに引っ込んだ場所のお店だったので、集客に苦戦した。そこで、岐阜の繁華街である柳ケ瀬商店街や繊維問屋街に、台車を引いて商品を売りに行っていた。それでも足りず、サンドイッチの宅配を始めると、驚くほど売れた。30店ほどフランチャイズ(FC)展開するまで事業を伸ばした。ところが、サンドイッチは昼にしか売れず、夜に弱かった。そこで、寿司ならば宅配でも一日を通して売れるのではないかと考え始めた。
ある時、江見社長は以前から目を付けていた近所の宅配寿司が、ちょうど閉店して2トン半のトラックに機材を搬出している現場に出くわした。その場で店主と交渉して、宅配寿司を開業するのに必要な備品を運良く譲り受けた。江見社長は、この時に寿司ロボットの現物を初めて見たという。その店主から仕入などのノウハウも聞き出した。
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宅配寿司初の全国チェーンを目指す
こうして、98年にサンドイッチ店の一角で、宅配寿司を始めてみた。案外と好調で、宅配をするのならば寿司のほうが市場が広く、原価も安く済むことが分かってきた。
サンドイッチというと、日本人が思い浮かべるのは三角サンドで、サブウェイのようなオープンサンドは今も一般的でない。自分たちで市場をつくらなくてはならず、使用するトマトやレタスの価格も意外と高い。パンを焼いて具材を挟んで400円で売っても、さほど利益は出なかった。
一方、寿司は日本人なら誰でも知っているし、トロをさっと握るだけで700円くらい取れる。サンドイッチとは商売の筋が全然違うと判断し、本業を宅配寿司にシフトした。
2000年にはブランド名を「寿司衛門」から「銀のさら」に変更。翌01年には、「牛角」「サンマルク」「まいどおおきに食堂」「タリーズコーヒー」などのFCを次々と成功させ、飛ぶ鳥を落とす勢いであったベンチャー・リンクと業務提携して、宅配寿司初の全国チェーンを目指した。
当時のベンチャー・リンクは、後に没落の一因となる大きな弱点を抱えていた。店舗を出したくても適当な物件がなく、FCオーナーと契約した後に店舗がなかなか開けられないケースが続出していたからだ。その点、店内飲食スペースが不要な宅配寿司は、四等、五等の立地でも成立する。立地に左右される一般の飲食店に比べれば、店舗開発がしやすかった。
銀のさらは01年10月にFC募集を開始。ベンチャー・リンクとの提携効果はすさまじく、わずか9カ月後の02年7月には、100店舗を突破。その4カ月後の02年11月には200店舗に達した。同年、本社を東京に移転している。
立地が悪くてもブレークした業態に、持ち帰り寿司の「小僧寿し」という先例があったが、スシローを始めとする4大回転寿司チェーンに押されて縮小を余儀なくされていた。入れ替わるように銀のさらが入っていった側面もあった。
また、街の寿司店も回転寿司に押されて閉店していったが、出前の需要を銀のさらが代わりに取っていった。
こうして一気にライバルチェーンを蹴散らし、銀のさらは宅配寿司で圧倒的な地位を築いた。ベンチャー・リンクは残念ながら倒産したが、ライドオン・エクスプレスは自力で13年に東証マザーズ市場へ上場。15年には、東証一部に指定替えとなっている。
なお、宅配寿司のみならず宅配ピザも含めて、自前の配送網を持つフード宅配の国内上場企業は、ライドオンエクスプレスHDだけだ。銀のさらの店舗数は今年3月末時点で357店となっている。
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宅配寿司が宅配ピザより難しい理由
宅配寿司はビジネスとして、非常に成り立ちにくい業態だ。
宅配の元祖である宅配ピザは、ピザが当時の日本人になじみが薄い商品であったことを逆手に取り、イタリアの高級イメージを巧みにアピール。1980年代のバブルに向かう日本経済の勢いを背景に、原価に対して非常に高い価格設定で成立した。
「ドミノ・ピザが30分以内に注文品が届かないと無料にする、“30分お届けルール”を定めて話題になったこともあり、狭いエリアにおいても月商600万円くらいで100万円以上の利益を出す店がザラにあった」(江見社長)。当時、宅配ピザの原価率は15〜20%と言われており、一的な飲食店が30%前後とされるのに比べて、材料費が大変低く抑えられていた。
宅配ピザの成功を目の当たりにし、一時期は宅配ピザを上回るほど、宅配寿司のチェーンが乱立した。
銀のさらがベンチャー・リンクと提携する前、岐阜や名古屋で30店ほどを展開していた頃の原価率は55%だった。
銀のさらの顧客単価は約5400円で、宅配ピザの3000円より2倍近いのは確かだ。しかし、3〜5人前のピザを1枚つくるのにかかる時間は3分。一方、5人前の寿司桶1つをつくるには15〜20分かかってしまう。
「宅配寿司は宅配ピザよりも、原価率が35%も高く、つくるのに人件費が5〜7倍掛かる。それが多くの宅配寿司が消えていった原因」と江見社長は見る。
現在の銀のさらは店舗数が増えたため、仕入れのスケールメリットを生かし、原価率が30%台にまで下がった。300店舗を超える頃から利益が出て上場企業にもなっているが、競合他社の多くは心折れて撤退していった。
チラシをまめにポスティング
シャリにもネタにも一家言あり、寿司に造詣が深い日本人は多い。味にうるさい消費者を納得させる商品を、職人でなく、アルバイトにつくってもらわなければならない。それが難しいのだ。
銀のさらの厨房は極力機械化されているものの、少しの油断が商品の劣化を招く。例えば、シャリ玉はロボットが握ってくれるが、シャリ玉を入れたボックスの蓋をエアコンが回った室内で閉め忘れると、カピカピに乾いたご飯になってしまうリスクがある。
「宅配寿司の作業工程は、誰でもできる簡単な作業の組み合わせなのだが、誰もできないほど徹底しないとおいしい寿司を提供できない」(江見社長)
そうしたマネジメントの仕組みを、ベンチャー・リンクとつくっていった成果が出ている。銀のさらの強さは、期間限定商品を前面に出したチラシのまめなポスティングにもある。江見社長によると「普通は1枚2〜3円の経費であるチラシに、8円くらいかけている」という。寿司をおいしそうに見せる狙いがあり、何回もポスティングされていると、何かの機会にふと注文してみようかとなる人が多い。このようなビジュアル戦略の巧みさも光っている。
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自動運転が普及すれば高収益体質に
銀のさらは、来客時やお祝い事を想定したアッパーミドルのブランドで、顧客は40〜50代が中心だ。それに対して、15年から「すし上等!」という、20〜30代に向けた日常使いができる第2ブランドを立ち上げた。
04年からは宅配釜めしの「釜寅」も展開している。3ブランドの複合店舗は110店程度ある。配送するバイクは共通で、注文するサイトや電話番号が異なっている。
つまり、銀のさらだけでなく、すし上等!や釜寅も同時に運営しているわけだ。しかも、自前の配達網のみならず、出前館なども使っている。同じ拠点で複数の業態を運営して、デリバリーのルートが幾つかある、ゴーストレストランのスタイルに近づいてきている。
デリバリー専門のファインダインも経営し、アフターコロナへの準備は万全に見受けられる同社。しかし、江見社長は自動運転が一般化するであろう、十年後を楽しみにしている。配送に掛かる人件費が大幅に削減され、高収益体質に脱皮できるからだ。
著者プロフィール
長浜淳之介(ながはま・じゅんのすけ)
兵庫県出身。同志社大学法学部卒業。業界紙記者、ビジネス雑誌編集者を経て、角川春樹事務所編集者より1997年にフリーとなる。ビジネス、IT、飲食、流通、歴史、街歩き、サブカルなど多彩な方面で、執筆、編集を行っている。共著に『図解ICタグビジネスのすべて』(日本能率協会マネジメントセンター)など。
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June 15, 2021 at 03:00AM
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