美輪明宏、金子由香利、長谷川きよし…。伝説の歌声を響かせたシャンソンの殿堂が銀座にあった。「銀巴里(ぱり)」。昭和が去って、程なく閉店。かつて舞台に立った歌手クミコさんは、この空間で育まれた名曲を改めて世に送り出している。「今の時代にこそ」という思いで…。
「日本産の最高のシャンソン」とクミコさんが呼ぶ曲がある。美輪さんがつくり、銀巴里でも歌い続けた「ヨイトマケの唄」だ。
「父ちゃんのためなら エンヤコラ」で始まるこの曲は、男性に交じり土木作業で家族を支えた母への思いをつづっている。フランス語で「歌」を意味するシャンソンの一般的なイメージ通りの曲ではない。
だが、クミコさんは「シャンソンの多くは愛の歌です。愛には男女だけでなく、親子の愛もあれば人類愛もある。『ヨイトマケの唄』は親子愛を歌った昭和のドキュメンタリーのような曲です。シャンソンを超えたシャンソン。そういった歌も大切にしたのが銀巴里なんです」と話す。
◆愛を淡々と
1951年に日本初のシャンソニエ(シャンソン喫茶)として開店した銀巴里は三島由紀夫、寺山修司といった文化人にも愛され、個性豊かな歌手を育ててきた。クミコさんは82年、27歳で店のオーディションに合格して以来、90年末の閉店まで歌っている。
「銀巴里で歌うようになるまではシャンソンといえば(『愛の讃歌』などを歌った)越路吹雪さんのようにゴージャスなステージをイメージしていたんですが、金子さんたちの内省的な歌はその真逆で、人生を淡々とささやくように表現する。生きるって大変だな、人間って愚かだなと、歌を通して教えられた」
今年7月、クミコさんは「ヨイトマケの唄」や、銀巴里のシンボルのような存在だった金子さんの代表曲「時は過ぎてゆく」などをカバーしたCDをリリースした。
若いときには「置いてきぼりにされている」と思っていた美輪さんや金子さんの曲も、年を重ねたことで等身大で歌えるようになったと感じ、収録した。
◆混迷の今こそ
昨年には銀巴里時代に歌っていた「愛しかない時」をリリースしている。この曲を初めて聴いたのは、ポーランド系の女性歌手プリュクナルさんの来日公演だった。「父親をナチスに殺された彼女の歌は、理不尽への怒りと悲しみに満ちていました。私も歌いたいと思った」。自ら日本語訳詞を書き、歌い続けてきた。
新たに収録しようとした矢先に起きたのがロシアのウクライナ侵攻だった。歌詞には「開いた銃口に話しかけるのに 何も持たないその時には」という一節もある。「現実が歌詞を飛び越えてしまった」という思いは、ウクライナだけでなく、パレスチナ自治区ガザなどでの戦火拡大で、より募る。歌に何ができるのか自問自答しながら、「人間の尊厳を私は歌っていきたいんだなと、この曲に気づかされた」とも明かす。
かつて銀巴里があった場所に近い有楽町のホールで今月24、25日、これらの曲を披露する。シャンソンは「絶滅危惧種」と寂しさものぞかせるが、両日ともチケットは売り切れ、追加公演も決まった。「シャンソンの灯を消さないためにも、多くの人に魅力を感じてほしい。銀巴里の歌たちには、混迷の時代にこそ心に染みる力強さがあるはずです」
文・稲熊均
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