東京オリンピック(五輪)で、女子の日本代表が日本バスケットボール界史上初めて銀メダルに輝いた原動力が、3点シュートだ。その象徴的な場面が準々決勝のベルギー戦。林咲希(ENEOS)が試合終了間際の逆転3点シュートを決めて4強入りした。日本が誇るシューターの林も考えすぎて大会前に絶不調に陥っていたという。銀メダル獲得の舞台裏を聞いた。
はやし・さき 1995年、福岡県出身。身長173センチ。ポジションはシューティングガード。父親がミニバスのコーチを務めていた影響で小学2年でバスケットを始めた。精華女子高(福岡)から白鷗大に進み、4年時は全日本大学選手権優勝、最優秀選手と得点王を受賞した。2019年に日本代表デビュー。ENEOS所属。
ベルギー戦は代表デビューの相手
――代名詞の3点シュートが東京五輪の肝心の場面でも光りました。特に準々決勝のベルギー戦が印象に残っています。
「自分でも本番に強いタイプだとちょっと思います。準々決勝は残り16秒で日本が2点負けていて、なんとかチームを助けたいと思っている時にパスが来ました。集中していたので怖さやプレッシャーを感じることはなく、自然と3点シュートを打つことができました。逆転できて本当にうれしかったです」
――日本代表のデビュー戦は2019年5月の国際強化試合でした。対戦相手はベルギー。いきなり3点シュートを5本決めて最優秀選手にも選出され、「これまで東京オリンピック(五輪)に出場することは現実的じゃなかったけど、自信になった」と語っていました。
「五輪前の強化試合、五輪の準々決勝でもベルギーと対戦しました。相性は良いのかもしれません」
――五輪直前はスランプに陥っていたそうですね。
「まだ代表選考の段階なのに、候補選手のなかで一番3点シュートの確率が悪くて。トム・ホーバス監督にも『(3点シュートが)打てないならサヨナラだ』と言われました。バスケット人生であんなに入らなくなったのは初めてでした」
――何が起きていたのでしょうか。
「代表合宿が始まったばかりの5月ごろは絶好調で、成功率も6割ぐらいあったんです。ただ、そのとき、逆に『この先これほどシュートが入ることはないんだろうな』という思いがよぎってしまったんです」
「試合で6割というのは、ほとんど落とさないレベル。期待に応えたい、選考に絶対に残りたいという気持ちも重なって、知らず知らずのうちに追い込まれていました。6月に入るとシュート感覚が迷子になっていました」
ギリギリに手応え
――どうやって乗り越えましたか。
「6月末から7月頭にあった…
September 27, 2021 at 08:00AM
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「打てないならサヨナラ」からバスケ銀の立役者に 「3点」の舞台裏 - 朝日新聞デジタル
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