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東京パラリンピック 個人で金、ペアで銀、チームで銅の欧州発・ボッチャ 千葉から全国へ 普及の立役者 「続けてきてよかった」:東京新聞 TOKYO Web - 東京新聞

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チームで銅メダルを獲得し、記念撮影する広瀬隆喜選手(前列左から2人目)ら=有明体操競技場で

チームで銅メダルを獲得し、記念撮影する広瀬隆喜選手(前列左から2人目)ら=有明体操競技場で

 五日に閉幕した東京パラリンピックでは、ボッチャ日本代表が個人で金、ペアで銀、チームで銅と三つのメダルを獲得した。欧州発祥のボッチャは国内では千葉を中心に広がり、現在では障害の有無を超えて楽しめる競技として人気が上昇。日本勢の快挙に、県内の普及の立役者は「(活動を)続けてきてよかった」と声を弾ませた。(鈴木みのり)

 ボッチャは白いジャックボール(目標球)をめがけてボールを投げ合い、どれだけ近づけるかで得点を競い、「地上のカーリング」とも呼ばれる。一九八八年のソウル大会から正式競技になった。

 国内で本格的に競技が行われるようになったのは九〇年代中頃。普及の中心にいたのは、当時十代だった荒井育子さん(44)=千葉ボッチャクラブ会長=だ。養護学校(現特別支援学校)の高等部時代、授業でボッチャに出合った。脳性まひで手足が不自由な荒井さんは、介助者の援助を受けながら、「ランプ」と呼ばれる滑り台のような道具を使って球を転がす。「介助者を通して、自分の意思でボールを転がせる」と夢中になった。

ボッチャを楽しむ愛好家ら。現在は障害の有無を超えて楽しめるスポーツとして人気が高まっている=市原市で

ボッチャを楽しむ愛好家ら。現在は障害の有無を超えて楽しめるスポーツとして人気が高まっている=市原市で

 九五年に愛好家の仲間と千葉ボッチャ協会を設立し、十八歳で初代会長に。同時期に、本場のイギリスに行ってルールを学んだ。九六年には「第一回千葉ボッチャ選手権大会」を開催。「大会を開いて試合をすると友達ができる。楽しくやっていた」。県内各地の小学校や特別支援学校で模範演技などを通して競技の魅力を伝える活動を十年以上続けた。

 全国に向けてボッチャの普及活動をしたのが県ボッチャ協会会長の宮坂昇さん(73)だ。宮坂さんは日本各地でボッチャ教室を開催。「地域から、全国大会に出るような選手が生まれるきっかけ作りをしたい」と当時の思いを話す。選手の水準は次第に上がり、国内では、四大会連続でパラリンピックに出場した君津市出身の広瀬隆喜選手など、国際的に活躍する選手も増えた。

 二〇一六年のリオデジャネイロ大会で日本代表チームが銀メダルを獲得すると、ボッチャの知名度は一気に上昇。障害者と健常者の双方が参加できる大会も新たにできた。日本ボッチャ協会の担当者は「リオ直後は大会に参加する人を探すのも大変だったが、最近は健常者の参加が増えて、人数を限定しないといけないくらい」と話す。

 東京大会前、「金メダルをとってほしい」と話していた荒井さん。「リオからメダルをつなぐことができてうれしい。ボッチャは誰でもできる競技。これからさらに広がっていくのでは」と期待する。

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September 08, 2021 at 05:39AM
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