東京オリンピック・自転車女子オムニアムで銀メダルに輝いた
すり鉢状のトラックを各国選手が猛スピードで駆け抜けていく。オリンピック最終日の8月8日、激しいデッドヒートが繰り広げられた屋内自転車競技場「伊豆ベロドローム」(静岡県伊豆市)。有観客開催となったレースを最前列で見守った有里さんは、娘の自転車が目の前を通過するたび、「頑張って」とマスク越しに声をかけ続けた。
〈がんばれ梶原悠未〉と書かれたTシャツ姿。力をこめる手には、金メダル獲得を願って塗ったゴールドのネイルが輝く。
「金色のネイルはハンドルを握る娘の指にも。おそろいのネイルに2人の強い気持ちを託していました」
距離やポイントの獲得方法が異なる4種目のレースを争い、総合得点で順位を決める「オムニアム」。第1種目のスクラッチで2位発進した悠未さんは、次種目のテンポレースは5位となったが、第3種目のエリミネーションでポイントを稼ぎ、首位と2点差の2位で最終種目ポイントレースに臨んでいた。
「ガシャーン」。すさまじい音とともに悠未さんが落車したのは、残り9周にさしかかった時。前方のオランダ選手と接触、場内がざわついた。
「えっ、このタイミングでと心臓が止まりそうになりました。頭部を打ったようにも見えたので、立ち上がり、再びペダルを踏み始めた姿に胸をなでおろしました」
アクシデントを乗り越え、総合2位を守り切ってレースを終えた悠未さんが真っ先に駆け寄ったのは、観客席の有里さんだった。「金でなくて、ごめんね」と涙ぐむ娘に、「おめでとう」と母も涙で応えた。
「1番になることだけを目標に過酷な練習をこなしてきたから、私も半分は悔し涙でしたね」
なんであろうと「1番を目指す」姿勢は、埼玉県和光市で育った幼い頃から。保育園児の時から、オセロやゲームで大人に負けると大泣きし、「どうしたら勝てるようになるか教えて」と食い下がった。
「究極の負けず嫌い。校内マラソン大会でも単なる体力測定でも、1か月以上前から練習して臨むような子でしたね」
元旦には、家族の前で「1年の目標」を宣言しないと、お年玉がもらえなかった。宣言は、毎年、大きな紙に書いて自宅の廊下に張り出された。
「幼い頃から、目標はあえて口に出させるようにしてきました。言葉にすることで自分を追い込み、気持ちを奮い立たせることができるし、逃げずに努力を重ねるパワーになるから」
水泳、バレエ、ピアノ、学習塾と、習い事に忙しかったが、「これで1番になる」と悠未さんが特に力を入れたのは、1歳になる前から通い続けてきたスイミング。小学校入学までに基本の4泳法をマスターし、選手育成コースに進んでいた。
小学4年からは、毎年、全国JOCジュニアオリンピックカップなど全国レベルの大会に出場。小学校の卒業式では、壇上で「オリンピック選手になります」と大きな声で夢を語った。
「毎日、学校を終えてから2時間以上プールで泳ぎ、疲れて夕飯がのどを通らないこともよくありました」
中学生になると、練習は一層厳しさを増した。「全国大会で成績を残し、水泳の強豪高へ進学して五輪へ――」。目標に向かって突き進んでいた中学3年の夏、全国中学校大会出場をかけた県大会で、100メートル自由形に出場した悠未さんの手から、確実と思われていた切符がスルリとすべり落ちていった。
「考えもしていなかった結果。問題なく突破できるはずだった出場標準記録を、なぜかクリアできなかったんです」
及ばなかったタイムは、わずか0・02秒。全国大会に出場できなければ、強豪高への進学も消えてしまう。
「そんな、まさか」。描いていた青写真が打ち砕かれた瞬間だった。
〈オムニアム〉 決められた距離で着順を争う「スクラッチ」、周回ごとに先頭の選手が得点する「テンポレース」、規定の周回ごとに最後尾の選手が離脱して生き残りを競う「エリミネーション」、決められた周回ごとの着順によって中間ポイントを積み重ねていく「ポイントレース」の4種目合計で最終順位が決定する。展開を読み勝負所を見極める力、スピード、持久力のすべてが必要とされる。
November 07, 2021 at 03:00AM
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二人三脚 つかんだ「銀」 - 読売新聞
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